主観に基づく感想と、データに基づく実証に乏しい批評

酒などを飲みながら、こう話し合った。


「データも出さずに実証性に乏しい勝手な感想を、あたかも時流であるかのようにメディアで垂れ流している奴等が許せん! 頭に来る!」
何か溜り溜ったものがあったんだろうなあ、と受け流し気味にビールを継ぎ足していると、話に巻き込まれる。
「試験殿、お前もそうは思わんか。」
「まあテレビあたりじゃちゃんと実証していける時間も確保されてないし、そんなもんじゃね」
「何を言うか。テレビの軽さは言うに及ばず、活字メディアでも適当な言節をろくに裏付けもせず決定事項か当然の事実かのように述べているのは目に付くではないか。ネットだってそうだ、『普通は〜』だの『一般的には〜』だの『わたしたちの世代は〜』だの、自分の思い込みを勝手に拡大して一般化する物言いの多いこと!」
「ちょっと待て。まず座れ。別にブログ辺りで自分の主観的な感想を書くのはいいんじゃね」
「甘い、甘いぞ試験殿。世の中のリテラシーを楽観的に考え過ぎだ。適当な感想が当然の事実や時流のように一般化される恐れがあるぞ。」
「そこまでリテラシーに悲観的になるのはいかがなものか。だいいちお前の懸念している衆愚化だのっぽい時流こそ実証されたのを聞いたことはないよ、不勉強ながら。じゃあ私のブログもアイドルへの主観的な感想を書き付けているのだが、これも駄目なのか」
「そんな話はしていない。問題のすり換えだ。別に感想を述べるのは悪かないさ。それを客観的事実や実証溢れる考察かのように述べて読者をリードするのがよくないってんだ」
以下、酒は進み現代社会への苦言に終始したわけだが、たまにはこんなお酒も悪くはないと思えた。


彼の意見も極端な気はするけど、何となくは分かる。たぶん、中山成彬辞任の報じ方や解説のされ方を見聞して、今日も憤りを覚えていることかな。
ここはアイドルへの私自身の感想、感動をいかに伝えきれるかという極めて主観に基づいたブログではあるけれど、間主観なパッケージを施さないと読んでもらいにくいしなあ、その辺りで彼が嫌いな一般化も薄く纏っているし、酒場の義憤の相手に選ばれたのかな。次回は今日のこのブログが酒の種になればいい。


ああ、早く「ヤッターマン」の深田恭子画像が公開されないかなあ!