言葉遣いの乱れ

このサイト、ほとんどオムニバス形式だから毎日のタイトルつけようがないんです。
それはそれとして、先日のログ[id:siken:20031218]にコメントをつけていただいておりました。「あわや」と「排出」の言葉遣いの間違いを指摘されるものだったのですけど、<!これから言い訳開始です>、私は腐っても日本語の徒でございますので言葉には比較的意識をはらっているはず…です。そこでちと考えたこと。
例えば「とても」や「全然」などの呼応をする副詞は本来なら「〜ない」という打消し語がこないといけないのだけども、現代日本じゃそんなことはない。もちろんこれに異をとなえ嘆く識者様もいらっしゃいますけど。国語学の見地から見るか言語学の見地から見るかだとは思うけど、大勢として向かっている結論は、「まぁみんなそう使ってるんだからそれでいいじゃないの?」ってなもんか。「それじゃいかーん、言葉遣いの乱れが云々…」はむかし民放のアナウンサーが「とてもおいしんですよー」と口走ったことへの批判を展開した識者が口走っていたこと。
ちょっと前には、「確信犯」の言葉遣いがクローズアップされたことがあった。原義は「世間的には悪いとされてることでも、いいと思ってやる人」ってなことらしいんだけど、今や「悪いってことを(いや、悪いこととは限んないな、もう)わかっててやる人」として使われることが圧倒的に多い。「これが日本語の乱れですよー」とマスコミさんじゃ言ってたけどねぇ…、そんなことならてめえら古語しゃべってろよインテリ!!
「確信犯」の言い換えって難しいんだよ!
でも、私の使った「あわや」という言葉遣いは明らかな誤用だ。「あわや20代」というと、「20代ではないのに20代に限りなく近い」みたいなニュアンスが発生してしまう。でも下川みくには実際20代なんだからこの使い方は誤りだ。「排出」という語も、「不要物を外部へ出す」という意味合いが正しい。下川みくにチェキッ娘から出たように「有能な存在が出る」のなら「輩出」のほうだ。
私は妙な言葉遣いというものへの関心があり、普段はそんな言葉遣いを意識的にやっている。その中には言葉の誤用ってものもある。文章書くときにはそんなことないようにしてるんだけど、ほとんど喋るように書いてるから間違ったまま書き付けてしまうことがままある。もの書きの端くれとして推敲をしないのはゴミ野郎の証拠になりかねん。例えば町田康という作家がいらっしゃる。かれは言葉遣いはややおかしいが、言葉の誤用は無いと思われる。まぁそれが正しい態度なんだろうけど、言葉の誤用がなにをもたらすか、という異化効果じみたことを私は言い訳として用意することにしている。デリダかだれかはわざわざ難しく書くのは読者を立ち止まらせ思考させるためだみたいなことを言ってたけど、普段の私の異様な言葉遣いも、パロールは聞き流されることが多く聞き手が重要だと判断したところしか理解されないという傾向への反抗としてとられているのだ! <!言い訳終了>
あ、でもあそこで間違えたのは普段のクセが抜けなかったからです。ごめんなさい。訂正しました。