綿矢りさとはなにか

綿矢りさで論文を書こう企画、始動。
先日のログを、どんどん煮詰めていこう。
別に綿矢りさは若い世代の代弁者でもないしな。というよりも代弁者だから人気がでるという時代でもなくなったのかもしれない。若い世代と総括して代弁しようがないことをみんな直感しているからだ。だから石原慎太郎デビューのときとは話が違う。おなじアイドル的人気なんだけど、同時代的代弁者的アイドルである慎太郎とは違い、いわゆる「アイドル」的アイドルである綿矢りさ
当然だけど、アイドルがいきなり小説を書いたからってそうそう売れるもんじゃない。綿矢りさクラスのアイドルは少なくはないと思うが、そのアイドルたちが小説を書いても綿矢りさクラスの人気を博すとは思えない。芥川賞という権威は無い。むしろ、芥川賞という忘れられかけた価値、というよりも若い世代にとっては忘れられるどころかそもそも権威ですらなかった芥川賞に「アイドル」性というヴェールをまとわせさも価値があるかのように見せかけたこの一連のブームは興味深い。
平野啓一郎の『日蝕』も比較的異常な売れ方をしたが、男性だったことかここまで盛り上げられることはなかった。でも小説の購買層って女性が多いはずだし、むしろマスコミ的には平野啓一郎を盛り上げてた方がいろいろとおいしいのでは? ということは、主婦層と並び購買意欲の旺盛なおたく層を狙う作戦なのか綿矢りさ。でもマスコミじゃもうあんまり触れなくなったなぁ。いや、マスコミで煽るよりも、マスコミはきっかけを与えるだけで、あとはおたく層に内部昇華させて行った方がよりヒートアップするか。