世の中にある人と栖と文章術と

ブログ文章術 米光一成|Excite エキサイト ブックス

だけど「書きたいように書けばいい」という物言いは、「(ある程度)書きたいように書けている」と思っている人(勘違いしている人も含む)の視野狭窄な物言いだ。
「書きたいように書けない人もいる」ということを想像できない人がそんなことを言うのだ。
もっと言えば、「書きたいように書けばいい」なんていうのは「生きたいように生きればいい」なんてことを言うぐらいのノーテンキな妄想と若さと浅はかさだ。
できるか、そんなもん。
ブログの自由と、われわれの不自由」 (『ブログ文章術』)

書ける書けない、という以前に、「書きたい」のところで頭を悩ませている作者も多いと思う。未だ作者にあらず。未作者。まさに我。我々。
つまり、「書きたい」が無い。
文章術やブロク本は、「書きたい」があることからスタートしている場合と、「書きたい」が無いことからスタートしている場合がある。そもそも文章術などの類を手に取り目にする時点で「書きたい」があるというアクティブな人だよ。と、必ずしもそうとは限らない。
じゃあ書こうとしなきゃいいじゃん、ブログなんて「必要な文章」じゃないんだし、という言葉に耳を塞いで、または真っ向から立ち向かって、「書きたい」を手に入れるブログの道。

ブログは、どう書くと楽しめるんだろう?
これが、この連載のテーマだ。

なんのために文章を書くのか?
なんのためにブログをやるのか?
その部分を忘れて、名文を書いたってしょうがない。
ブログのためだけの文章術!!