メールで話す

ふとした調子で「メールで話す。」という表現を口にした。「話す」という言葉は口をもって人とコミュニケーションを取ることを指していた。もちろん今では手話でも「話す」という表現を使うし、人は目でも「話す」ことができる。しかし「メールで話す」とは異な仰せ。「手紙で話す」なんていう表現などなかったろうから、この傾向はどう扱えばいいのだろうか。
人が人とコミュニケ―ションを取る方法は様々な種類が用意されている。言葉に限ることも無い。手話や目などはさっき挙げた例だし、絵や音楽なんかでももちろん意思を伝えることは出来よう。その手段の一つとしてメールがある。「メールで話す」という会話で使われるのはメールはメールでも電子メール、もしくは携帯のメール、総じてEメールである。
中でも携帯のメールの普及率はすさまじい。国民総携帯電話携帯というわけの分からない事態に日本は進んでいる。会社違いではメールしづらいという欠点もあるが、それも「携帯」、なおかつ常に電源が入っているという強みは大きい。ノートパソコンなどとは手軽さで非常に勝っている。
結論を言えば、「メールで話す」という表現は使えないわけではない。「手紙で話す」という表現が何故使われなかったかと言うと、それは即効性が薄すぎたということからではないか。メールはまだ即効性があるかのように思われる。携帯のメールなどはほとんどダイレクトに意思を伝えることができる。また、携帯電話という本来の意味での「話す」ためのツールを用いているからこそ、「メールで話す」という表現も成り立っているのではないか。そこから表現がパソコンのメールにも移っていったと考えられる。
ただ、いくら話しているといっても「メールで話す」だけでは寂しいものではないか。相手から距離的に遠いことを利用して、一方的につながりを切断することもできる。まさに勘違い個人主義者にはもってこいのツールである。それだからこそ正直な意見が言えるということも成り立つが、やはり葛藤のうちに言葉を紡ぎだす実際に向かいあっての会話がいいのではないか、と教科書的な道徳表現を主張してみても、やはり「メールで話す」側の人間であることを私は自覚するのであった。駄目じゃん。