ショスタコビッチのCDゲットだぜぇ

ショタでもショタコンでもございません。これらのワードで飛んでいらっしゃった方には申し訳ありません。お求めのものはこちらにはございません。そういえば、4歳ぐらいのこどもははっきりと男女はわかれてるけどそれよか小さくなるときわどくなりますね。極度のペドフィリアの方々は男女の性差を超えるのでしょうか?
つうわけでショスタコビッチ。本名をDmitri Shostakovich、1906年サンクトペテルブルグ(当時帝政ロシア)に生まれる。1975年没。ソ連の方の『ハムレット』の映画音楽を手がけたことで有名。というよりも交響曲第5番「革命」が有名なのか。それらのCDをまとめて買ってきました。かっこえぇ! ドラクエの最終ボスの音楽をポジティブにした感じ。うーん、私の手にかかると台無しだな、ショスタコ
つうかクラシックは詳しくないので社会主義リアリズムだとかなんだとかさっぱりわからん。だからこそ余計なバイアスなしに音楽に接することができる。だがしかし、これは教養なしに文学に接するという態度と一緒ではないか。もちろん文学テクストを読むことにその言語を読める知識以上のものは必要ではない。「そこに何が書いてあるのか」ということに対してはとある言語記号が書かれているという解答だけが必要最低限のもんだ。何かを読み取ることはできる。しかしそのテクストになにかの意味がこめられているというわけではない。意味は読み取る時に発生するのだ。これはテクストに限りなく自由な意味がこめられていると言い換えることができると思おうと思えば思うことができる。だけど、こちらの方の考えは説明が困難だ。というかほとんど無理かもしれない。テクストの中にこめられた社会性は未来を含有しない。だから社会性を伴う読むという行為が、その瞬間性とはいえ時間性は帯びている以上、テクストの中に限りない意味がこめられているというのは間違いだ。少なくともその読者という存在がなければ意味はない。