プロフィールについて

プロフィールは慣例的な面と必要性と、どちらが大きいのだろう。
載せる方、書く方は慣例だとして、読む方も慣例としてプロフィールを捉えてるのかもしれない。プロフィールを読もうと思う気持ちも、慣例に立脚してるとは言えるんじゃないか。まぁ慣例化したものがいけないってわけじゃないんだけど。どうして慣例化したのかとか、現在の意義とかを考えなきゃいけないってこった。
えーと、プロフィールは解釈の手助けとなる。それは一般的な作者が想定する理想的な読者、つまり誤読をせずに作者の意図通りに読んでくれる都合のいい読者を対象としている。これは作者側からの視点。
読者にしてみれば、別に作者の意図を読み解こう、って自覚はあるにしろ無いにしろ、作者に対する興味から作品の解釈へと役立つものとしての、プロフィールとなるようだ。
ということはどちらも解釈の糧、作者への興味という意味あいを持たせているため、それならプロフィール情報はあればあるほどいいってことになる。プロフィール情報があればあるほど作品の解釈はたやすくなる(単一ベクトルへと向けることが出来る、「作者の意図」を作者読者双方が求めるから)し、プロフィールがあればあるほど作者への興味は満たされる。まぁ知らなかった方がよかった! ってな情報もあるけれども。「趣味はうんこ積木です」って言ったら引く人が大多数だろうし。
でもプロフィールがすさまじい量のサイトが大好評! ってなわけじゃあない。