ぼくはこういう本をよんできた

立花隆じゃないけれど。プロフィールとして、読んでる本をあげるのはどうかと思った、人文系だし。好意的に読んだ本も嫌悪を感じた本もいっしょくたにして。そしたら余計に読者を混乱させるか。そもそもプロフィールは自己顕示のためにあるようなもん(セールスポイントとしての手段も出てくるけど)だけど、それが解釈に与える影響は小さなものじゃない。だからある志向性を持たせた(結果的に持った)ラインナップじゃないと読者はさらに混乱してしまう。その混乱は解釈多様性なんて好意的なものじゃなくて。
いやいや、人間はそんなに合理的な、説明のつくような、志向性がはっきりした存在じゃないんだ! という意見もあるだろうけど、もともとサイトを開いてまで自分の考えを伝えたいと思うような人たちは、「作者の意図にそぐわない」誤読・誤解釈をなるべく避けようとするはず。だからプロフィールが意識的なものであってもいいわけだ。
もちろん、人文系だから本だけ、音楽系だから好きな音楽だけ、ってプロフィールは「作者の意図」とか「作者への理解」を求めるのなら、足りない。ジャンル間の相互影響はごく当たり前に起こっているからだ。
…すると従来のプロフィールになっちゃうじゃーん。あれれ? ということはプロフィールは従来の形である程度オッケーってことか。プロフィールに嫌悪を示すのは、そりゃ読んだ内容に拠るわけであって、プロフィールの存在そのものに嫌悪を感じる読者は少数派も少数派なんだろうか。
ほとんどのサイトにプロフィールがついているこの現状を考えると、多数派はプロフィールを必要と感じてるんだろう。それが単なる慣習化されてるかもしれないとしても。