プロフィール中間総括

プロフィール書いてみたんですけど、率直な感想が、気持ち悪い。次に、恥ずかしい。私は、プロフィールが大量にあるサイトは苦手だってことだ。なぜそんな印象をもったのかと考えてみると、自分をさらけ出そうとする行為、それがプロフィールであろうが日記であろうがだけど、こっぱずかしく感じるからだと思う。てめぇら一般人じゃないかよー! という意識があるんだろう。一般個人でも情報を発信できるってネットの利点は感じつつも、一般個人でも情報を発信できるということへの意識は半ば嘲笑的にに育っているんじゃないか。確かにある程度の有名人のプロフィールやインタビューなら読むことに嫌な感触はしない。権威主義と言われたらそう言われても構わないんだけど、それだけじゃない面も見逃してはならない。
プロフィールに対しての態度をいろいろとさぐってみた。肯定派と否定派に分けることができるんだけど、書き込み量や言及量ではどちらが多いとは断定できない。もちろん言及する層がどちらかに偏っていると考えることもできるからだ。
肯定派の主流意見は、プロフィールがあった方が書いてる人についてわかるからイイ! というもうそのまんま真っ当も真っ当なものだ。逆に言えば、プロフィールがないとどんな人が書いてるかわからんで不安だ、ということらしい。これはやっぱりネットの匿名に対する不安、そして非権威者に対する不安ではないだろうか。新聞だって匿名だけどあれには新聞の名前が権威として裏付けされてるし。あとは、もちろん作者への興味という面が大きいはずだ。
プロフィールとはそもそも初見の人のために用意されてたはずだ。それには作者の(本当であれウソであれ)正体を示すことによって、読者にテクストへのとっかかりの足場を作り、また権威付ける要素があったのだと思われる。
否定派は、てめぇら一般人の趣味趣向好きなもの嫌いなもの生年月日100の質問1000の質問写真似顔絵初体験時期なんて知りたくもねぇんだよアホが! サムい! キモい! という意見が多数。読むのはもちろんイヤだけど、あるだけでもイヤだ! という方もいらっしゃって、「イヤなら読まなければいーじゃん」という肯定派の意見を封殺すらする。「イヤならそのサイト読まなきゃいーじゃん」ってのは的外れな反論だ。プロフィールが嫌なだけ、転じても作者を痛いと思うだけで、別にそのサイトが嫌いになったわけじゃない。まま嫌いになることもあるらしいけど。