アイドル「おたく」のイメージ 写真集の所有数を判断材料として

昨日、坂道をのぼりながら、「世界バリバリ☆バリュー」がグラビアアイドル特集ということで、その受容者側のことを考えてみました。番組でも、スタジオに50人のグラビアアイドルが集結! といきまいていますけど、焦点をあてたいのはそれを受容するいわゆる熱狂的ファンと呼ぶ人たちの生態らしい。クサレ討論番組・啓蒙番組でないにしろ、警戒はしとくに越したことはない。
いったいどの辺りから、熱狂的ファン、マニア、おたくと呼ばれるのか。おそらくそうレッテル貼りたがる方からはその3者の分類基準などつけないと思います。だから便宜上、この文章では「おたく」で統一します。本当は様々なニュアンスの違いは感じ取られるのですが。
番組予告で、部屋の裕香に、もとい床に*1広げられたDVDらしきものの映像がありました。それを考えると、制作側はこれくらいで視聴者に「こいつはおたく」というイメージを与えられると踏んだのだろう。
今回は、写真集の所有をひとつの基準として考えたい。アイドルの受容において最も数量的に明確な判断をくだせるのが写真集であると考えられる。
もちろん、その数量(その前提としての所有という事実)に対しての評価はその評価者によって異なる。「一般的に」という概念を振りかざすことがためらわれるが、だいたいの私の偏見で述べさせてもらいます。
まず写真集を持っている/持っていないという点で大きく評価がわかれるところだと思う。それは「こういうこと」*2に対しての興味の表示であり、「こういうこと」にたいして決して安くはない金銭を支払うことであり、写真集という極めて即物的な、そしてまたハンディ性溢れる性欲処理アイテムという評価を完全に免れることは難しい。人によっては、「こういうこと」に興味を持つ(言及する)自体で「おたく」イメージを持つのもいるだろう、ましてや写真集なんか買っちゃって! ここでまず一つのラインを引くことができる。
ただ、その一冊が内田有紀だの広末涼子だのそれこそ一時でも確実に一世を風靡したアイドルのものならば、まだその「所持の事実」というものに対する「おたく」イメージが濃くなることはないと思われる。一世風靡アイドルが登場しない(しえない?)現在ではそこを考慮することに疑問を感じなくはない。モー娘。上戸彩ではより「おたく」臭が強いことは否めない。
ただそれは一世風靡アイドルとの相対的なもので、写真集じゃないけど小阪由佳のDVDだけを一本だけだよ俺がアイドル関係で持ってるのは! と言ってもその「おたく」臭は強い気がする。よりマイナーな方が無責任に「おたく」イメージをもたれるだろう。
次に数量的な評価の問題がある。写真集10冊ぐらい本棚に並んでいる、というこれぐらいでも「一般的に」みて「おたく」という評価をされる可能性は高いと思われる。もちろんその根底には、写真集「なんか」を持っている/持っていないという「所有の事実」に対する評価が濃くあるだろう。持ってるだけでもアレなのに10冊も持ってるのー!? ってなもんだ。
ただ、テレビとかで数十冊ぐらいの写真集を持っているやつが「おたく」扱いされて本人もまんざらでないのを見ると、なんだかなぁと思う。そんな私でも、たかだか100冊ぐらいの所有で「おたく」扱いされると困ってしまう。私なんかおたくのなかではヒヨっ子ですよ! 本物のおたくの人たちに悪いですよ! という気持ちは強いけれども、私を「おたく」扱いする人たちの判断が分からないわけではない。
「一般的」には、持っているという「所有の事実」での判断が生まれているような実感があります。漸次、所有数に基づいて「おたく」イメージが増加していく。
写真集の所有量だけで判断すると設定して、アイドル好きの皆さんからしてみりゃどのくらいの数からおたくとして評価するのだろうか。
ちなみに私事ではこんなもの。去年の11月の時点。ムック含む。

*1:「ゆか」の変換第1位が「裕香」の有様平田裕香

*2:ある対象に対する興味・好意の蔑視的表現。ここではアイドルを対象とした。