「下妻物語」 走り書き

とにかく、フカキョンかわいい! 土屋アンナかっこいい! に尽きるアイドル映画だ! 土屋アンナのヤンキー演技は異常なカッコよさとともに巷に溢れるモデル役者との違いを見せつけている。そういうキャラクターの強い役柄だってのも演技力を隠す要素だと思うけど、いや、この土屋アンナはかっこええよ。
そして21歳とは思えない深田恭子の愛らしさ! 過剰な表情での演技も愛くるしくて仕方がない。
予備知識はテレビCMだけで挑む。映画の日なのにお客さんは5人ほどだった。
オープニングで牛久大仏がそびえ立ち爆笑。ジャスコも必要以上に連呼されるところがたまらない。茨城性といったものを共通知識として持っていなくとも、ジャスコの位置づけなどは作中で改めて語られる。
ストーリーの後半から時間を巻き戻して語る手法はたまにみる。インディーズの短編映画でも同じようなのがあった、タイトルは失念、コンビニですれちがったり最後土手に行くやつ。
本線は自分語りの非常にメタフィクション性の強い映画だ。もちろん彼女らは自分たちが観られていることを知っていて、かつ観せようとする。主人公の桃子(深田恭子)が自己紹介のときに、駅の待合室のテレビで突然彼女のプロフィールを紹介する番組が流れ出す。自分たちでボケもツッコミもし放題なこの語り方はこういうコメディに合っている。
映画の基本テンションはそのプロフィール番組で幼少時代の桃子が口にする「おもしろいから」という人生選択の指針がそのまま現れている。「おもしろいから」クレイジーな父とともに生き、「おもしろいから」ムダを極めたロココ調へ傾倒する。とはいえそれ以降まで継続するロココへの憧れは「おもしろいから」という言葉が薄れてしまっているような気がした。ここは描き方が足りないと思う。
イチゴ(土屋アンナ)の登場シーンは、イチゴ(イチコ)が土屋アンナでありレディースであるということが知れているために、「小学生のような字、たぶんこどもなんだろう」という桃子の予想も客は答えを知っているために空回りする。
しゃべり場」らしき子どもたちの討論番組を思い切りパロディ化してクサしたり、後半で「野生動物が死んでいってもなんの感慨も湧かない」のように桃子に言わせたり、パロディ、ツッコミ意識が随所に見られた。
桃子に何を聴いているのか尋ねたイチゴが、ヨハン・シュトラウスという名前を答えられた時に「聞いたことのねぇバンドだな」とやったりなど、デフォルメ極めたヤンキーぶりは楽しい。ヤンキーはデフォルメしてなんぼ、バカにそして熱く描いてなんぼだと思う。
そしてだからこそ、クサい言動をとっても許されるのだ。
生瀬勝久はワークパラダイスの廃らせ屋と同じ喋り方だが端役過ぎたのが残念。ヨッシーはホントキモいキャラに見出されたね! いいぞヨッシー
あ、何がすごいって、樹木希林が若い頃に左眼を失ったという設定で眼帯をしていること! ネタにするとは。