コミックにはプロフィールが無いの

小説などの単行本や文庫本にはほとんどといっていいほど作者のプロフィールが載せられているのに、漫画・コミックにはあまり作者のプロフィールが載せられてこないのは何でだろう。
「プロフィール」の必要性がジャンルによって違う? まさか。


[プロフィール]記事一覧 - そこだ! アイドルのそこが好きだ!
「プロフィール」というものへの興味は尽きません。

プロフィールはそれが書かれた時期、もしくはプロフィールがいつ時点のものなのかってことが意外におざなりになっている気がする。
プロフィールを更新せずにほっておいてるサイトで、そのかかれているプロフィールの話題を振ってみても、それがもう現在じゃ通用しなくなっていることがある。
書籍の場合、いったん読者の手に渡ったらプロフィールが更新されることは改版までほぼ無いから、余計に注意しなければならない。
http://d.hatena.ne.jp/siken/20040304/1078329494

ある作者のプロフィールに項目が追加されていたり、項目が削除されていたり、文言が変更されていたり、何も変わっていなかったり。


2004年2月過ぎに流行った「はてな顔出し」を下敷きにした話題。

だから読むときにだいたい顔、ルックスを想像しながら読まれることが多い。それと実物との(良かれ悪しかれ)ギャップが「はてな顔出し」のひとつの魅力だった。
mixiなどのSNSじゃバンバン積極的に実顔公開されてますね。
もちろん著者の実顔もパラテクストになりうる。著者の実顔(もちろん虚顔でもそれが著者だと認識されてれば同じことだけど)が文章の解釈に影響を与えることは充分に考えられる。
逆にそういったパラテクスト的なプロフィールは読者によって想像されうる。作家の肖像ならぬ、作者の肖像。
私ってどういうルックスで何歳ぐらいだと読まれているのだろう、とか。
http://d.hatena.ne.jp/siken/20041013/1097669437


プロフィールに関する、「名作」や「代表作」の由来はどこにあるんだろう、という興味。

ある作者の「プロフィール」も時代を経て変遷しているかもしれない。ある作者の人生の中から何をピックアップするのか。のちのち新発見とか新説とかで作者の人生は追加される。ピックアップする「作者」の意図で作者の人生はプロフィールに編まれる。人生はプロフィールに編集される。同じように、作者の「代表作」も誰かが決めている。誰かが唯一神なんかじゃないし、それこそ売上だのの客観的指標だけに縛れるわけじゃないから、「代表作」もイデオロギーの一つだ。例えば太宰治の代表作といえば『人間失格』か『走れメロス』かあとは何だろう、出てきて『津軽』辺りなのかなあ。僕は『グッド・バイ』がダントツで好きなんだけど、でも「代表作」かと訊かれたら答えに詰まる。たぶんそうじゃないと返す。「代表作」とは何だろう。「代表作」とはどのように生まれて、広い読者のムードになるんだろう。教科書は「代表作」「名作」を作るのかもしれない。「代表作」「名作」だから教科書に載るのかな。ニワトリと卵のようで、これにははっきり答えが出せそうな気がする。教科書を逆上り続けたらたどり着けないかな。
http://d.hatena.ne.jp/siken/20080917/read