文学理論と文学入門と小説作法

文学を入門するものとして捉えるならば文学理論も小説作法も文学入門もそうそう遠いもんじゃない。とはいえこういう指摘もあって、

この「文学理論」のチャートを久々に見て思うのは、あいかわらず「作家になる法」「小説入門」の類いの本が根強いなあ、ということだ。なぜかアリストテレスの『詩学』がいつも高位につけていたり、ジョナサン・カラーによる概説書『文学理論』が売れていたりするという例外はあるのだけれど、いわゆる「文芸評論」なるものはほぼ壊滅状態。逆に、「小説入門」とすると売れるものだから、入門書スタイルの評論のような類書が増える。いっそのことアマゾンの分類も、「小説入門」は別立てにしたらいいと思う。(《陸這記》 crawlin’on the ground

確かに「文学理論」のチャートに小説作法や文学入門が入ってくるのは違和感を感じる。ただもちろん、理論をもとにした作法もあれば文学理論概説書は文学入門には変わりない。「文学入門」というカテゴリーを作ったらそれはそれで参照する人は多いだろうと思う。
とはいえ、文章作法書となると「本 > ジャンル別 > 人文・思想 > 言語学 > 日本語・国語学 > 論文作法・文章技術」というカテゴリにはめられる。「文章読本」はほとんどがこちらにいらっしゃる。谷崎読本は文章に実用も芸術もないと建前を置きながら後年こういう扱いを受けちゃうわけだ。まぁ確かに理論じゃねぇわな。
そしたらばなぜか川端康成『新文章読本』は「ジャンル別 > 文学・評論 > 評論・文学研究 > 文学理論」であってわけがわからない。これって誰が分類してるんだろう。

小説にもなってない9割の

文学賞の下読みの人が吐露する愚痴として、応募作品の9割(ほとんどという意味合いだと思われる)がどうしようもないやつで…、というものがある。実際に下読みをしていた人も3年前にその話題になったときに愚痴ってた。
うーん、ぜひ読んでみたい! いったい、何がダメなのだろう。何をもってダメだとされているのだろう。気になる!

かなたの「げんしけん」

いままで訳もなく避けてた木尾士目げんしけん」をまとめ買ってきた。訳もなく避けてしまうものって、どうして避けてしまうのかという訳を考えることすら避けてしまう。それが解消されてふと手に取るときも本当にふとであって訳はない。あっても考えることは避けてしまう。
というわけで、げんしけん。こういうサークルって実在するんかな、と非サークル系のおたくやその他の人は思う。かっこよさげな人が「おたく」系サークルに入ってるんかな、というほとんど未知の世界なのでわからない。
でもよく考えたら、自分のいたサークルがまさにげんしけん然としていた。
ところで私をリアルでおたく扱いする人がいるんだけども、そりゃおたくに失礼ってもんじゃないか。社会学(?)かなんかで下手におたくの定義をしちゃって「おたく」のボーダーラインが強烈に下がった気がする。

肖像写真

間違ってる恐れが高いのでコメント欄ではなくトラックバックにて。
紅野謙介さんの論文で肖像写真を扱ったものがあった気がします。>id:d-sakamataさん
…と書いた矢先に先のコメント欄に小森陽一じゃあないかとの意見が。さもありなん。