『爺言 ジイちゃんに訊け!』 田埜哲文

2002年1月30日初版発行 集英社
ヤングジャンプで連載されていたために若い読者にも知られて…、いるのかどうかは怪しい。ヤングジャンプにグラビアとマンガを求めてやってくる読者が、 文章のページを果たして読むものだろうか。週間マガジンの方に連載されていた爆笑問題の『今日のジョー』は、爆笑問題という名前と、「笑える」内容である程度の読者は確保していたとは思う。しかし、この『爺言』の方はどうだろうか。
逆に、単行本化されて、ヤングジャンプとは縁の薄い壮年、年配の方々の目にも通ることは歓迎すべきことだろう。ただし、この本に出てくる「爺」たちは、若者に向けて話をしているのだ。だから、一若者として、私は、是非、この本に目を通してもらいたいと思う。そりゃ、価値観なんて違って当然だ。精神論なんて今、語られても迷惑でうるさいだけかもしれない。
それでも、この本に出てくるのは普通の「爺」ではない。一線級でしのぎを削ってきたとんでもない「爺」たちなのである。テレビに出てくる文化人が垂れる言葉よりも、その辺のおっさんおばさんが口にするような倫理観、価値観よりも、はるかに威力を持つことばたちである。
インタビュアーには二つのタイプがある。一つは相手と議論するような形で自分を強く出してくるインタビュアー。もう一つはその逆で、自分を全く出さず、淡々と話を引き出してくるインタビュアー。この本のインタビュアーはやや前者に属するのかも知れないが、全く相手の話の邪魔はしていない。相手に対する自分の重いでも、気のいい合いの手といった調子である。そのお陰で「爺」たちはつらつらと話しつづける。
19人の「爺」が登場する。例を一人挙げると、団鬼六、昭和6年生れ。学校の勉強していたらいきなりぶん殴り、ギャンブルを教え込む父親。その中で育った団鬼六は、父を題材に小説を書き大ヒット。えたあぶく銭で酒場を経営し失敗、夜逃げ。なんと中学教師になり、授業は自習にし、生徒たちのまん前、教卓で官能小説を書き綴る。そしてエロ小説家への道へ。
本人はいたって、いや、ほぼノーマルなエロだ。オメコオメコ、とインタビューでは口走っているが、いたって、ほぼノーマルな、エロだ。団鬼六は本当のエロとは、こう語る。
「女性はひたすら隠し、男性はひたすら隠されているもんを見ようとするから生れる」
人が何年生きて生きても、その中でだせる、ある物事に対する「結論」というものは非常に少ないと思われる。もしやもすると、結論なんて一つも出ないかもしれない。それでも、生きていく上で、「何が大切か」、ということは各々気付きだす。それが詰まったこの本。人の一生と言うものは面白い。「死」という最後のイベントを除いた、人間の一生というものが、19個つまっている。