第130回直木賞選評「オール讀物」3月号

芥川賞の選評については[id:siken:20040211#1076426776]に書きましたが、今度は直木賞の選評です。綿矢りさ金原ひとみというまさに新人とは訳が違い、受賞者が江國香織京極夏彦という既にビックネーム売れっ子作家、選評も好評価で迎えられています。
まず問題としないといけないのは、今さら感は強いものの、選出は客観的にしようとするかどうかってことです。これについては芥川賞選評で池澤夏樹が、直木賞選評で北方謙三が触れています。

「海の仙人」がふわふわと気持ちよく読めて推したのだが、賛同を得られなかった。こういう作風の評価は分析ではなく好悪で決まってしまうから。
池澤夏樹芥川賞選評「文藝春秋」2004・3)

今回の五作は、その持つ個性から作風まですべて異なっていて、私は自分の好みがストレートに評価に繋がってしまうことを、警戒しながら読んだ。
北方謙三直木賞選評「オール讀物」2004・3)

いくら客観的に読もうとしてもどうしても主観の陥入は妨げることはできない、そもそも客観的なんて…ということは置いといて、ただ、客観的に評価を下そうという意識があるかないかで大きく異なる。これが今回の芥川賞直木賞の選評でも大きく異なるところかもしれない。これがモロに出たのが町田康が候補に上げられた数回の芥川賞選考だなぁ。
さて、選評です。分量がだいたい芥川選評の2倍。
辛口のはずの北方謙三が今回は○を3つ付けたとのこと。『後巷説百物語』と『号泣する準備はできていた』の受賞作2作はまさに激賞。『号泣〜』の方はやはり省略のうまさに賛美を向ける。馳星周『生誕祭』にはハードボイルドの本来のかたちを見たようだ。
五木寛之も受賞作2作を推した。京極夏彦を「当代もっともバロック的な小説家といえば、この人」と評したけど、うーん。
林真里子がさっそく『生誕祭』のバブル期風俗に対しての間違いを指摘している(ヴィトンとエルメスについて)。すっげーなぁ。こういうのはすぐばれるのね。「今回は京極さん、江國さんという当代の人気作家が受賞され華やかな話題をまいた。本当に良かった」と書いているが、さらに華やかな話題にかき消され気味なのが本当にもったいない。
阿刀田高は『後巷説百物語』を「──これだけのものを書かれたら、どうしようもない──」と最大限の賛美で評した。その上で次の記述、

力量を認めないわけにいかなかった。依然として私の好みのタイプではないだろう。が、選評の場では、好みでなくとも評価しよう、というケースも多い。それこそが書き手の力と言えるのではあるまいか。(阿刀田高オール讀物」2004・3)

うーん、いくら無粋な分類とはいえ、純文学/大衆文学のしきりはこういうところにも顔を出すのだろうか。というよりもこちらの方がまだ健全な気がするけれども、文学にそういう合理性とか求めちゃだめなのかなぁ、芥川賞選評。ハッ。