ヒョーロンカ入門

小谷野敦が燃料を投下した。

評論家になるには、という本は「小説家になるには」本に比べて非常に希少。文章作法本や評論本のなかで「評論家になるには」ということに触れたものは見かけるものの、一冊丸ごと狙ってきたのはいい燃料だクマ。
そのなかでこういう記述を見つけた。

「小説の書き方」「マンガの書き方」のような本は、戦後になってから出てきたものだが、今でもあちこちで出ている。(前出著・213ページ)

こんなエサにこの俺が釣られるかクマー(AA略
小谷野先生のことだからあからさまな釣りという疑念も沸き起こるが、もちろん明治42年に通俗作文全書のひとつとして刊行された田山花袋『小説作法』があるし、落合浪雄の『小説著作法』は明治36年。つまりこの文章は「戦後」という言葉が日清戦争をさすものであろうと推測される。
また、「小説の書き方」という区分けは作者あるいは出版社(者)という売り手側の意向であって、読者視点ならば坪内逍遥小説神髄』を参考として小説が書かれなかったとは考えにくいので、「小説の書き方」本だということができる。つまり日清戦争すら「戦後」という表現にそぐわなくなり、これは明治18年以前の何かの戦争を指すものであろう。
なんてアホ丸出しの指摘は冗談として、いったい小谷野先生がどういう意図をもって引用部のような書き方をしたのかはわからない。完全なマニュアルとして出版された「小説の書き方」本、ってことなのかなぁ。花袋の『蒲団』をいじっておいて、『小説作法』を知らないはずがない。
だから私に劇的な見落としがあるのだろうと考えられるが、見落としなだけあって私にはわからない。


この本自体は小谷野敦ビルドゥングスロマンとして非常にエキサイティングに読めた。釣り師への畏敬の念を抱かずにはいられない。