丹羽文雄死去

作家の丹羽文雄氏が死去、100歳」 読売新聞
ついに逝かれた100歳。これで文壇最長老は誰になったのだろう。


丹羽文雄と言えば、角川文庫の『小説作法』を所持している。
小説作法は、抽象に走るか、実作から例を挙げていくか、どちらかの手法を採るものが多い。丹羽文雄の『小説作法』も自らの著書を例にとることが多い。執筆の経緯なんかも併せて、これらは作家による「小説作法」の常。
そのなかにひょいと置かれる比喩に惹かれてしまう。「題名」のつけ方を「ごはんの炊き方」に例え始めたその3行後に段落を変えて「子供の名前」に例えを増やし、次の行では「単なる符牒ではないか」とぶっ飛んでゆく。その2行後には「しかし、内容を題名が、チンドン屋風に広告しているのは、あんまり賛成したくない」と切り替えしてきた。それで次の段落には「私は、時々、こうも考える」と続くからたまらない、「いっそ、丹羽文雄第八一三番小説ということにもなれば、気は楽である」と結ぶ。おいおい、と突っ込んでしまうツッコミ世代にはたまらない。
全編がほぼこんな張りで保たれている。自問自答、思惟を貫きながら「小説作法」を書き付けていく姿勢は、多勢の「小説作法」のなかで心地よい違和感を持っている。ときには対話方式で「小説作法」を詰めていき、ときには改まって抽象的に理論を思考しだす。うろうろして結局何がいいたいの! と突っ込みかけると、結論を提示してくる。「小説作法」を考える追体験がそのまま「小説作法」に直結する鮮やかさは見事。
軽やかに小説を書いてしまう多数の小説家志望者は、「小説作法」なんて読まないのかもしれない。「小説作法」を読むのは私のような「小説作法」ファンだけなのかもしれない。とまではいかなくとも、100ページぐらいの「小説作法」書が作家志望者をようやく留めているのかもしれない。理論とかいいから、イイ小説(賞をとれる小説)の書き方を教えてよ! ってな様子なのかもしれない。
読んでいて読み物足りうる「小説作法」は数少ない。丹羽文雄『小説作法』はそのひとつ。
小説作法は独自なものだ。それを自覚したうえでどう読者に提示するか? だからこの本を読んでも小説家にすぐなれるわけなんてないし、小説の秘密がダイレクトに書かれているわけじゃない、と丹羽文雄は述べる。でも、読み物として面白い「小説作法」は少ないし、この読書体験が小説執筆に結びつかないはずはない。もちろん書かれている「小説作法」をド直球に受け止めちゃアレなんだけど。


説教臭いところもあるけれど、紋きりながら「憎めない」丹羽文雄、合掌。