読書離れの実感と懐疑

ずっと触れたかったけれどもうまい言葉が見つからんで棚上げにしてた本2冊、別にうまくなくともとりあえず言及しとくか、はははとりあえずだって。
舞城王太郎熊の場所ISBN:4062113953 純文学とはこうあるべきだ! と叫ぶ人はさすがにいないけれども、でもいろんなことを「こうあるべきだ」と叫びたがる人は多い。この小説への言及もなんだかんだで「こうあるべきだ」と肯定否定あいまみれている。はは、結構結構。なんで難しく語りたがるのだろう? ステレオタイプな表現に対してその批判なり賛辞なりが紋切り型な言い回しに満ち満ちていて、もう壮大なひとつのエンターテイメントなんじゃないかな批評って、と思われちゃまずくないっすか? どっちが釣ろうとしてるんだろう。簡単に語ろうとする人はいないのか、多くの読者は簡単に読むだろう、『バット男』とかを陳腐陳腐言うけど俺には面白く。
町田康権現の踊り子ISBN:4062117606 もう町田康は仕方が無いと思う。だって面白いんだもん。やっぱ語り口が面白い。「お客さん、グルメですねー」なんてひきつった女の給仕に言われちゃ仕方が無い。語り口だけ賛美してておもろいおもろい言ってて、そしたらそれを批判する人もいてその中身が、内容がまずいみたいな内容で、批判って何のためになされるんだろう? 批判は誰のためか? その本を買うなって消費者への合図か? それとも少しでもブンガクをよくしようってな試みか? 別にどっちでもいいや。つまらんと思うものをつまらんというのは自由だ。そりゃマンコも泣きますよ。ハッ。っていうこのスタンス。
この2冊を読んだのが去年の3月から4月、ずっと持ち歩いてた。