文量に対する甘い正論

インターネットやケータイの普及によって、人々が文章を読み書きする機会は大幅に増えた、らしい。 その代わりと言っては何ですが、文量は大幅に減った、らしい。
そりゃケータイメールとかネット書き込みとか考えると、文量は確かに減るだろう、という話。でも、mixiとかblogとか見てると、爆発的な長文を書いている人が多いのは気のせいじゃない。
理由が無い限り、長文は読まれないらしい。今や400字ぐらいが、何となく読める文量のラインらしい。そこで面白ければ、続きや続編も読んでくれるらしい。
らしいらしい続きで気持ち悪いらしいけれど、まあ他人の長文は読まないのに自分は長文を書いてしまうのが、これも人間の性か……。うわっ、チェーンソーってなにをするやめ、ずばっ。
一つの文自体も短く、一文章ごと(なんなら読点ごと)に改行し、一つの話題だけを扱う。根拠を自らは明記せず「リンク先参照」としてURLを書けばいいのも、この流れに拍車をかけている。


↑ここまでで400文字。blogで感想を述べるぐらいならば、意外にちょうどいいかもしれない。
でも、その後に考察を広げていくとか、他との比較を繰り広げるとか、これまでの履歴を踏まえてとか、そんなことをマトモにやってる暇も努力もスキルも無い。文量が足りない。
「長い文章はだれも読んでくれない」「せっかく書いた文章を人にも読んでもらいたいでしょ」「簡潔にすればみんな読んでくれますよ」という甘い正論にノックアウト。「自分の想いを文章にしたい」と、「自分の想いを不特定多数の人に読んでもらいたい」というのが、幸せな両立を成さない。
じゃあ、自分の文章を上手く読ませるスキルを育てなければならないってのも、なんだかなあ。何かを求めるのならば努力せよ! イェイ!


結局南極、何のために文章を書いてるの? という話に収束するものの、「何のために文章を書いているのか、俺はッ!?」と考えるのはメンドクサイ。自らの下心に少しでも気づいたときに、甘い正論に囚われちゃうんだろうか。
まわりの長文ブログの友人が、突然、400字ぐらいに無理やりまとめようと始めたら要注意。400字にしたからって読まれるわけじゃない? トモダチにストレスが溜まりだす前にケアをしていこうよ、マウナケア。


以上、920文字。